
山の奥深く、道に迷った者だけが辿り着くという家がある。
人の気配はないが、囲炉裏には火が灯り、膳椀が二つ静かに並べられている。それは「迷い家」と呼ばれる、山中異界の幻影。
欲を持たず、ただ通り過ぎる者には富が授けられるというが、欲を出した瞬間、家は霧のように消えてしまう。
初めての記録は、山の静けさの中に現れる、誰もいない家の話から始めよう-。
迷い家とは何か─民話に見るその姿

迷い家(まよいが)とは、山中で道に迷った者が偶然たどり着く、誰も住んでいないはずの家のこと。
囲炉裏には火が灯り、膳椀が整えられ、座敷は清められている。だが、人の気配はない。
柳田國男氏の『遠野物語』では、迷い家に入った者が「何か一つだけ持ち帰ると富を得る」と語られている。 ただし、欲を出して多くを持ち帰ろうとすると、家は霧のように消え、何も得られない。
この家は、単なる怪異ではない。 それは「境界の向こう側」にある、語られなくなった記憶のかたち。
無欲の者にだけ現れるという構造は、民話の中に潜む倫理観と、異界との距離感を物語っている。
柳田國男氏『マヨイガ』
-遠野物語-

迷い家の伝承は岩手県遠野市を中心に知られているが、類似の話は日本各地に点在している。
「迷い家」と聞いてひと際有名な伝承はやはり、柳田國男氏の『遠野物語』だろうか。
「マヨヒガと云ふは、山の奥にて道に迷ひたる者の、偶然に行き当る家なり。人住む気色もなく、器具調ひ、飯なども炊きてあり。されど何物も取らずして出で来れば、後に福を得ると云ふ。」 ― 柳田國男『遠野物語』第63話より
村で一番の金持ちである三浦何某という家は、今から二三世代前までの主人のころは、今とは見違えるほどに貧しかった。三浦家が裕福になったのは、この家の女房が「迷い家」に訪れてからだそうだ。
三浦家の女房が蕗(フキ)を取りに山の奥深くまで迷い込んだ際、山中に立派な館を発見した。その館の立派な黒い門をくぐり庭の中へ入ると、裏手にはたくさんの牛が住まう牛小屋や、綺麗な馬が何頭も飼われている馬小屋までもあり、庭には一面花が咲き乱れていたそうだ。
しかし、生物はたくさんいるのに、おかしなことに人の気配が全くない。
この女房、勝手に玄関から中に入ったそうで、座敷へ上がると高そうな朱塗りや黒塗りの椀がたくさん並んでおり、火鉢には沸騰した鉄瓶がある。生活の気配は感じるのにやはり、人の気配はない。そのことに急に恐ろしくなった女房は慌てて家へ戻った。
後日、女房が川で洗い物をしていた時、川上から綺麗な朱塗りの椀が流れてきた。
女房はそれを家に持ち帰り米を量るための器として利用するようになったが、不思議なことにそれ以降いつまでも米が減らなくなり、それ以外にも幸運な出来事が舞い込んで三浦家は裕福な家になっていったそうだ。
三浦家の女房は迷い家から何も盗らなかったため、無欲な者に富を授けようと迷い家の椀の方が女房の元へやってきたのだろうか?
現代の迷い家
-迷い家は現代にも存在する?-

迷い家とは、山中で偶然出会う不思議な家や集落のことで、昔話や民間伝承に登場する異界の象徴です。しかし、現代においても驚くほど似た体験談が語られています。インターネット掲示板やSNSには、「一度だけ不思議な場所に迷い込んだ」「誰もいないのに生活感がある」といった話が投稿されており、まるで異界に足を踏み入れたかのような感覚が共有されています。
迷い家は昔話や民間伝承の中だけでなく、現代の誰も足を踏み入ることのなくなった山中でひっそりと息をひそめているだけなのかも知れません。
ツーリング中に迷い家に迷い込んだ話
ある掲示板に、まるで現代の「迷い家」のような体験談が書きこまれました。
その男性はビックスクーターでツーリングを楽しんだ後、島根県から広島県へ帰るはずが、道を間違えて鳥取県と岡山県の県境に入ってしまったそうです。
陽が落ち始めていたのもあって不安な様子でしたがツーリング用アプリの案内もあり、アプリのいう通りに暗い山の中を走っていると、途中でアプリが誤作動かおかしな案内を始めました。
それでもアプリを信じて従って走っていると、真っすぐ走っていたはずなのに、過ぎていく景色が見覚えのあるものばかりなことに気づき、一旦停まって地図を確認しました。
そこで、山中で迷子になってしまったという事実に気付き不安になった男性でしたが、もう一度アプリを自宅に再設定すると、さきほど走っていたルートとは違うルートの案内を開始し出したのを見て安心し、アプリが案内するルートを走りだしました。
これで安心かと思いきや、男性はこの後さらに不気味な現象に遭遇してしまいます。
真っ暗な道を走っていると、いつの間にやら後ろに車がいてパッシングされたそうです。
先に行ってもらおうとビックスクーターを停めて待っていると、さっきパッシングしてきた車がなかなか来ない。
走っていた道は山道で、一本道だったので脇に逸れるようなことはできないはずなのに…。
怖くなり再び走り出した男性は、アプリの案内のまま道を走っていくと、アプリから「目的地に着きました」と聞こえました。
ですが、そこにはペンションのようなお店が一軒二軒あるだけでした。
アプリの様子もおかしいようだし、人に道を聞こうと思った男性はこのペンションらしき建物のドアを開けました。
中の様子を見ると、辺り一面電気はついているのに人っ子一人いない…。
「誰かいませんか!」と何度も声を出したが、何の反応もなかったそうです。
どこかで何かが割れたような音が聞こえた気がしたところで、男性の恐怖が限界に達し、藁にも縋る思いで友人に電話をかけました。
その後は、友人の冷静な案内とアドバイスのおかげでこの男性は無事に帰ることができたそうです。
この体験は、柳田國男の『遠野物語』に登場する「マヨイガ」との類似点を多く感じます。
無人の家、生活の痕跡、道の消失、そして一度きりの体験。
現代の迷い家は、テクノロジーと幻想が交差する場所に現れ、私たちの現実認識を揺さぶる存在となっているのかもしれません。


